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2015.9.11 不二越正門前行動

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9月11日、強風の中、不二越正門前行動を行いました。今回、福井の右翼が街宣許可を取り、不二越周辺を宣伝カー1台で「韓国人は出て行け」「不二越は金を払うな」「強制連行はなかった」などと、大音量で叫んで回っていました。安倍政権が戦争法案を強行する只中、警察も出て物々しい雰囲気でしたが、門前行動をやり抜きました。
侵略と戦争に反対するということは、こうした反動との対決でもあります。今後、不二越門前行動は差別排外主義者・右翼との闘いの現場となっていくと思われます。日韓の連帯で勝利まで闘いましょう。
by fujikoshisosho | 2015-09-27 15:51 | 国内での抗議行動レポート

2015.5.22 不二越韓国訴訟 3次提訴

5月22日、韓国で不二越に対する3次訴訟が起こされました。
原告の李春綿(イ・チュンミョン)さんは1944年6月頃、女子勤労挺身隊として不二越に強制連行され、1945年7月頃まで旋盤で鉄を削る強制労働をさせられました。

当会では、重ねて不二越に被害者への謝罪と賠償を求めていきます。

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                        原告の李春綿さん
by fujikoshisosho | 2015-09-27 15:32 | 韓国レポート

不二越強制連行・強制労働とは(3)

帰国、戦後被害、いまも続く訴訟

[32]帰国直前 1945年10月 博多港
1945年10月帰国直前に、博多港で写した女子勤労挺身隊の写真です。
やせ細ってはいますが、にこやかな表情がいかに強制労働が苦痛であったかを物語っています。明日には家族に会うことができるという喜びの気持ちが伝わってきます。
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帰国、そして戦後被害
日本が敗北し、少女たちにはやっと生きる光が見えましたが、栄養不足と不衛生、重労働で幼いからだはボロボロになっていました。
韓国では、挺身隊=慰安婦の誤解が広まり、現在に至るまで苦労が絶えませんでした。


[33]1945年10月27日付「毎日新報」
1945年10月27日付けの「毎日新報」(ソウルの新聞)には、帰国してきた少女たちが見る影もなくやせ衰え、皮膚病にかかっていると報道しています。
我が子の無惨な姿を見た家族が、不二越を訴えるために「父兄大会(保護者大会)を開こう」と呼びかけています。麗水(ヨス)では、保護者が激しく行政の責任を追及したとの証言があります。
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[34]辞書で「挺身隊」を調べると…
子どもたちは帰国しましたが、その後63年を過ぎた今も心が安まらないことがあります。
日本軍は朝鮮からたくさんの女性を「挺身隊」として強制連行し、「軍隊慰安婦」にしました。日本に強制連行された少女たちは「軍隊慰安婦」に誤解されることを恐れて、不二越への強制連行に口を閉ざしてきました。そのことによって、女子勤労挺身隊被害が埋没させられ、長い間社会的に認識されませんでした。
真相糾明委員会の発足と調査によって、ようやく朝鮮女子勤労挺身隊被害に社会的光があてられ始
めました。

[35]強制労働に関する条約(ILO29号条約)
不二越が行った強制連行は、奴隷労働を禁じているILO29号条約に違反しています。
1930年にILO29号強制労働禁止条約が結ばれ、日本は1932年に批准しました。

[36]厚生年金保険被保険者期間について
社会保険事務所が発行した「厚生年金被保険者期間について」という公文書が、原告たちの不二越での労働の事実を証明しました。この公文書が見つかるまでは、不二越は言を左右していましたが、この公文書によって、不二越はもちろん裁判所も強制労働の事実を認めざるを得なくなりました。

[37]韓国での闘い
日本での裁判だけではなく、韓国内でも必死な闘いが続いています。

不二越ソウル営業所で抗議(2005年5月)
第2次訴訟提訴後、原告と支援者は繰り返し不二越ソウル営業所への申し入れ行動を闘い抜いてきました。2005年のソウル営業所前の写真です。

[38]裁判、最高裁和解(2000年7月)
2000年7月に最高裁で和解が成立し、7人については解決しましたが、残りの1600余人は未解決なので、この日から全面解決のための準備が始まりました。

[40]1992年第1次訴訟、
2003年第2次訴訟が闘われていますが、不二越は未だに謝罪していません。
2003年4月、23人の原告が第2次訴訟を提訴し、闘いが再開されました。
 
[41]不二越正門前 勤労の碑に献花のために訪問(2004年7月)

[42]不二越北門
子どもたちが到着した不二越は、4メートルもの高い塀に囲まれた牢獄のような工場でした。
2004年2月、口頭弁論のために富山を訪れた李慈順さんと李福実さんは、その折、不二越構内の「勤労の碑」に献花した後、不二越北門の前に立ちました。

[43]不二越正門前 勤労の碑に献花のために訪問(2004年7月)
不二越は第1次訴訟和解後、「第2次世界大戦下勤労の碑」を社内に建立しました。
朝鮮人強制連行・強制労働の文言は刻まれませんでしたが、原告は来日の度に、この碑に献花しています。

[44]2007年9月19日、富山地裁判決に抗議(富山地裁構内で)
2007年9月19日、富山地方裁判所は原告の請求を退ける判決を下しました。裁判所構内は怒りと悲しみの坩堝と化しました。

不当判決に、怒りの抗議をする原告団長の李福実さん(富山地裁構内で)

原告は不二越富山本社に突入し、構内に横断幕を広げ、総務課の建家の前で夜暗くなるまで座り込みを続けました。


[45]不二越正門前 追悼式のこぶし 2007年9月
判決翌日、来日原告と支援者は、不二越正門前で不当判決を弾劾し、闘いを継続する決意を固めるための追悼式を挙行しました。
 
[47]新聞報道「北日本新聞」社説
判決翌日、新聞各紙は不当判決を大きく報道しました。

[48]「北日本新聞」は早期解決を提案する社説を掲載しました。

[49]控訴審第1回口頭弁論 羅贊徳さん 2008年5月
2008年5月控訴審第1回口頭弁論に来日され、裁判で意見陳述した後、北陸会館での集会で写真を説明される羅贊徳さん。
右端の一部が切り取られていますが、そこには「女子勤労挺身隊」と書かれた幟旗が写っており、羅贊徳さんは「軍隊慰安婦」に誤解されないようにするために切り取りました。

[50]2010年3月9日 高裁判決の日
不当判決に、高裁外で抗議行動を行う原告ら。

[52]高裁判決翌日の2010年3月10日、不二越本社前にて、追悼式

[53]続いて、降りしきる霙のなか、抗議集会

[54]不二越工場正門前での抗議集会

これは日本人、私達の責任です。

(テキストと画像はクローバーの会作成のパワーポイントから)
by fujikoshisosho | 2015-09-01 03:16 | 不二越強制連行・強制労働とは | Trackback | Comments(0)

不二越強制連行・強制労働とは(2)

軍需工場での強制労働と過酷な生活

[9]生け花をする少女たち(社史) 
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[10]部屋で歓談している少女たち(社史)
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[11]1944年11月6日付「北日本新聞」
1944年11月6日付の「北日本新聞」です。
1944年5月以降、不二越は朝鮮からたくさんの労働者を受け入れていましたが、なお不足していることから、12月末までにさらに800名、3月末までに2800名を富山県に送るように、朝鮮総督府の了解を得たという記事です。
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[12]1944年11月の「朝日新聞」
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11月25日付の「朝日新聞」には、「(5月に来た少女たちは)緊急増産に挺身しているが、出勤率95%を越え、熟練度もはやく、この間傷ついた身をいとわず敢闘して、県から勤労賞を送られた少女もあるほどで、内地少女に比して勝るとも劣らない成績をあげている」と書かれています。
朝鮮から視察がきて、不二越工場を視察したが、「半島少女の勤労陣に大きな期待をかけ健康管理や慰安に後顧の憂いのないように準備して待っている」と、ことさら記事にしているのは、幼い少女たちが男性と同じ仕事をしていることへの批判を封じるためでしょうか。

11月26日付の「朝日新聞」は、挺身隊の少女たちは、環境も文化も変わる中で、すばらしい成績をあげていると伝えています。父親が亡くなったが、帰国しない少女を美談として紹介していますが、朝鮮の幼い少女でさえこんなにけなげに働いているのに、日本人はもっとガンバレといった意味合いを持つものではないでしょうか。


[13]卒業生名簿
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[14]学籍簿
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[15]入社式の後の記念写真
この写真は、1944年春、女子勤労挺身隊が韓国から不二越に到着した直後に撮影しました。
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[16]不二越入社直後(李慈順さん 1945年)
1945年3月に強制動員された子どもたちが不二越社内にある神社の前で写した写真です。
少女たちの幼さと、髪の毛をすっぽり中に入れる帽子を手にしている事に注目してください。李慈順さんが保管していました。
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[17]不二越運動場にて(被告側提出証拠写真:不二越乙号証15-41)
少女たちが富山に着いた翌日から軍隊式の訓練が始まりました。
仕事のための研修でもなく、女学校の勉強でもなく、工場で仕事をするまでの約1ヵ月は毎日集団で規律正しく行動するための訓練ばかりでした。
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[18]不二越社員手帳(裵順禮さん 1945年3月1日入社)
少女たちは、それぞれ「不二越手帳」を受け取りました。これには、社員の心得や社歌が書かれていました。この手帳は裵順禮さんが持っていたものです。
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[19]第12愛国寮前で(被告側提出証拠写真:不二越乙号証15-19)
第12愛国寮の玄関前です。
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[20]出勤前の挨拶(被告側提出証拠写真:不二越乙号証15-14)
第12愛国寮の前で、舎監に出勤前のあいさつをしているところです。
逃亡を防止するために、点呼を行い、全員並んで行進して職場との間を往復しました。
少女たちは、「なびく黒髪きりりと結び・・・」と女子挺身隊の歌や不二越社歌、軍歌などを歌いながら、工場まで行進しました。故郷を偲んで作った不二越社歌の替え歌を、今も覚えていて歌うことができる人もいます。
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[21〜23]不二越工場で働く女子工員
当時の12、3歳の平均身長は140cmで、現在の小学校4年生くらいです。
この少女たちが、それまで仕事をしていた男性社員に代わって、旋盤やミーリング(横削り、ふち取り加工)の作業を行いました。少女たちにとって、旋盤作業は重労働でした。幼くて、機械に届かない分、足元に台をおいての作業でした。
職種によっては、深夜の作業も強制されました。

[21]不二越工場で働く女子工員の作業風景
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[22]不二越工場(被告側提出証拠写真:不二越乙号証14-1)
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[23]鋼球工場(被告側提出証拠写真:不二越乙号証14-2)
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[24]一日の食事
食事は劣悪で、強制労働の元で、病気・けがが多発しました。
1945年の富山の冬は厳しく、また、夏になると空襲が始まりました。
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[25]粗末な食事(再現)
食料がなく、国民全員が空腹を抱えていた時代ですが、少女たちの食事もまた貧しいものでした。みんな一様に、空腹とその惨めな気持ちを覚えています。
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[26]三角パン
昼食は、1辺12cmの三角形のだんご(三角パンといわれた)だけで、少女たちにとっては朝食だけでは足りなかったので、昼食のための三角パンを朝食時に食べてしまいました。その結果、昼食には何も食べるものがなく、水を飲んで我慢しました。(不二越高校「半世紀の歩み」)
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[27]不二越病院
少女たちは工場から歩いて10分ほどの処にある不二越病院でけがの治療を受けましたが、仕事を休むことができませんでした。
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[28]作業時のけが
朴小得さんの指のけが
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[29]平年と1945年の最低気温の平均値比較
寒さの厳しい富山。1945年の冬は例年になく寒く、雪がたくさん降りました。最低気温平均の平年値(D)と1945年(E)を比較すると、グラフのようになります。1月、2月の最低気温はマイナス5度にまで下がりました。
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[30]1945年の積雪
また、戦後、最も多かったといわれている1963年や1981年の積雪と比べても、1945年の積雪が非常に多いことがわかります。このような寒さの中で、少女たちは暖房設備のない寮で過ごさなければならず、多くの子どもたちは病気にかかり、しもやけに悩まされました。
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[31]富山大空襲
1945年にはいると、富山への空襲が始まり、米軍は軍需工場不二越を攻撃目標にして、8月2日の大空襲を計画していましたが、不二越は空襲を免れ、富山市街は灰燼に帰しました。少女たちは、米軍機からの焼夷弾と炎をあげて燃えさかる中を夜を徹して逃げまわり、空襲後、工場に戻ってこなかった子どもたちがいるとの証言があります。
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(テキストと画像はクローバーの会作成のパワーポイントから)
by fujikoshisosho | 2015-09-01 02:34 | 不二越強制連行・強制労働とは | Trackback | Comments(0)

不二越強制連行・強制労働とは(1)

少女たちが日本に連れてこられるまで

[1]不二越朝鮮女子勤労挺身隊(社史)
アジア太平洋戦争の末期、1944年から1945年にかけて、当時日本の植民地だった朝鮮から来た、尋常小学校を卒業前後の12歳から15歳の少女たち約1090人が、富山市の軍需工場「不二越鋼材株式会社」で「朝鮮女子勤労挺身隊」として働いていました。


[2]それは出征した日本人の男性に代わって、兵器を作るためでした。
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[3]第二次不二越朝鮮女子勤労挺身隊勤務損害賠償請求訴訟(不二越強制連行・強制労働訴訟)
それから60年余りの歳月が流れ、現在80歳近くになったかつての少女たちが、企業と国の責任を裁判で訴えています。
問われているのは、企業や国ばかりではありません。私たち日本人でもあります。はずかしいことに、彼女らの訴えがなければ、私たち日本人はそのことを忘れてしまったか、知らないままでした


[4]裁判所に向かう原告(全玉南さん、弁護団)
彼女たちは、幼いころから日本語を話すように教育を受け、なかでも日本語をよく理解する人たちが日本に連れて来られました。
ですから、今でも日本語で話すことができます。その声に耳を傾けてください。
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[5]原告出身地域(強制連行された当時)
少女たちのほとんどは、ソウルや韓国南部から学校単位で来ていました。
在学中や卒業直後に、学校の先生から、「日本に行って働けば、夜は女学校で勉強できるし、給料ももらえるし、お茶やお花を習うこともできる」と言われて、それを信じて来ました。兄弟や両親を徴用すると脅されて来た人もいます。
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[6]1944年1月12日付「北日本新聞」
「労働者を必要とする企業は人数を申込むように」という新聞記事です。
日本はその頃、中国や東南アジア、南太平洋を侵略し、アメリカと戦争をしていて、男性は徴兵され、軍需工場では労働力が不足していました。
当時の富山県は国内第5位の工業県で、軍需物資を増産するには、県内外の労働者だけでは足りず、朝鮮から労働者を移入することになりました。
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[7]1944年1月17日付「北日本新聞」
第1回の軍需工場指定の新聞記事です。
陸軍、海軍が軍需生産を優先するために、関連工場を「軍需工場」に指定しました。指定150社の中には不二越鋼材の名前もあります。
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[8]1944年5月2日付「毎日新報」
ソウルで発行されていた1944年5月2日付の「毎日新報」です。
不二越への募集は、主に、学校や役所を通して行われましたが、新聞広告を見て応募した人もいます。
京城職業紹介所による広告ですが、「必勝挺身」と書かれ、「皇民化教育」により報国の気持ちを奮い立たせるように書かれています。資格は13才以上19才まで、日本語を理解する必要があり、国民学校卒業程度の学歴が必要でした。
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(テキストと画像はクローバーの会作成のパワーポイントから)
by fujikoshisosho | 2015-09-01 01:47 | 不二越強制連行・強制労働とは


第二次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会  連絡先  メールhalmoni_fujikoshisoson@yahoo.co.jp   電話 090-2032-4247 住所 〒090-0881富山市安養坊357-35


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