三菱勤労挺身隊動員被害者の李東連さん逝去
三菱女子勤労挺身隊訴訟原告の李東連さんが亡くなられました。お悔やみ申し上げます。市民の会の報道資料を転載します。
[訃告-報道資料]
三菱勤労挺身隊動員被害者の李東連さん逝去
2018年11月29日韓国の大法院(最高裁)で最終的な勝訴判決を勝ち取ったのに、最期まで三菱から謝罪を受けられなかった原告李東連(イ・ドンリョン、1930年1月20日、享年90歳)さんが昨日(6日)夜11時10分頃、肝臓癌の闘病生活の末に逝去されました。
故人は羅州(ナジュ)小学校を卒業した後、日本人校長の勧誘で1944年5月同じ訴訟の原告梁錦徳(ヤン・クムドク)さんらと共に三菱重工業名古屋航空機製作所に動員されました。
1945年12月7日愛知県一帯を襲った東南海大地震当時、命拾いで命を救われましたが、羅州から一緒に動員された同僚の崔貞礼(チェ・ジョンレ)さん、金香南(キム・ヒャンナム)さんは崩れる工場建物の瓦礫の下敷きになり、若い命を奪われてしまいました。故人は1945年10月頃帰国しました。
故人は日本で訴訟を進めるだけで、勤労挺身隊被害者に対する韓国内での無理解がもたらした冷たい社会的視線のせいで、非常に苦痛を味わいました。一歩遅れて日本の支援団体(「名古屋三菱朝鮮女勤労挺身隊訴訟を支援する会」)、太平洋戦争犠牲者光州遺族会(李金株(イ・クムジュ)会長)の助けに力を得て、1999年3月1日日本政府と菱重工業を相手に名古屋地方裁判所に訴訟を起しましたが、2008年11月11日最高裁判所の上告棄却で10年にわたる日本での法廷闘争は終結しました。
また故人は2009年、厚生労働省社会保険庁が訴訟原告に「厚生年金脱退手当て」99円を支給して大きい波紋を呼んだ事件の当事者の中の1人です。
当初は顔が知られることを嫌がり、常にマスコミインタビューを辞退し、いつもマスクを着用していた故人は、韓国で訴訟が始まってからは、日本政府と三菱の誤ちをアピールする公開の場にマスクを脱いで参加するなど、名誉回復のために積極的に取り組まれました。
光州の「市民の会」等の支援に力づけられ、2012年10月24日光州地方法院で三菱重工業を相手に訴訟を起こし、2018年11月29日は遂に大法院で最終的に勝訴する快挙を達成しました。
しかしかなり前から肝臓癌で永らく療養病院生活をしていた故人は、結局大法院勝訴判決を現場で聞くことはできませんでした。また日本政府と三菱から謝罪の言葉ひと言を聞くのが最後の願いだったのに、もう意図を成し遂げることはできなくなりました。
2018年11月29日大法院で三菱を相手に勝訴判決を勝ち取ったのに、1年6ヶ月も三菱重工業と日本政府が判決の履行を拒否している間に、昨年1月25日原告5人の中1人だった金中坤さんの逝去に続き、故人まで命を落とすことになりました。
謹んで故人の冥福を祈ります。
2020.5.7勤労挺身隊おばあさんと共にする市民の会
*写真は勤労挺身隊市民の会
参照http://cafe.daum.net/1945-815
by fujikoshisosho
| 2020-05-11 16:25
| 韓国レポート
|
Trackback
|
Comments(0)
連絡先 メールhalmoni_fujikoshisoson@yahoo.co.jp
by fujikoshisosho
リンク&インフォ
[リンク]
[更新案内]
新植民地主義の打倒を掲げるアフリカ解放闘争(2023年9月27日更新)
[更新案内]
新植民地主義の打倒を掲げるアフリカ解放闘争(2023年9月27日更新)
カテゴリ
不二越強制連行・強制労働とは第二次訴訟年譜
原告の証言
国内での抗議行動レポート
韓国レポート
寄稿
関連1. 一次訴訟 金景錫さん
関連2. 外国籍差別問題
関連3. 原発と不二越訴訟
不二越会社動向
関連動向
出版物の販売
連絡会ニュース
リンク集
企画
問い合わせ
最新の記事
2024.3.25 不二越東.. |
at 2024-03-27 17:03 |
日帝強制動員市民の会 報道資.. |
at 2024-03-24 19:11 |
3月25日(月)正午 不二越.. |
at 2024-03-23 09:27 |
追悼 朱錦用さん |
at 2024-03-19 16:56 |
追悼 朱錦用さん |
at 2024-03-19 16:56 |
以前の記事
2024年 03月2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
more...