日本の戦争責任を問う(下)
日本鋼管への強制連行とストライキ
私も日本鋼管に労働者として強制徴用され、五〇トンのクレーンを運転していました。当時一九四二・三年は、日本の戦局が最も苛烈な時期でありまして、日米戦争が始まって間もなく、日本の若い青年達は前線へ、前線へと、赤い紙切れ一枚で動員され、昼夜の区別なくたくさんの人が命を落としていた時代であります。
ですから労働現場の方もそのあおりをくって、ほとんどの若い日本人の青年達は現場にはいませんでした。年寄の日本人と、高等学校の若い養成工の日本人の手で動かしていて、そこに我々が加わって、重工業の中で最もきつい仕事である製鉄の仕事をやっていました。
が、彼らは我々の労働力をむさぼるだけでなく、人格をむさぼり、人権を踏みにじりました。会社は朝鮮人青少年達に対して非常にあくどい、悪意のこもったパンフレットを出しました。それには半島人条項として、いわゆる朝鮮出身、植民地出身の青年達はあまり仕事ができない。技術の修得がおそい。日本人の青年が二人でやることを五人で掛かってもできない。水をがぶがぶ飲む。水を飲むからおなかをこわす。出勤率が悪いとありました。
ところがたまたまそれが私の目にとまり、それを回し読みして、こういう扱いを受けるならば、もう現場を放棄して仕事をしないほうが楽なんだ、家へ帰してくれ、我が国へ帰してくれと大食堂に集まり、二〇〇〇〇人もが一斉に、一人も抜けることなく整然と集まって、会社に申し入れをしました。
製鉄は高炉も止まり、転炉も止まり、直結モーターも止まりました。ふつう三万五千トン級の軍艦の主砲を造っている所がありました。いわゆる大砲のくり抜きをやっておりました。それがとまってしまったので、その後軍艦は、それを積む予定だった軍艦はそれを積まずに出港して、マレーシア沖合で撃沈されたという「幸運」があったそうであります。
ところが、これだけやっかいなものだったら国へ返してくれ、「我が国へ帰してくれ」という「我が国」がたたって、「植民地の人間が大きな口をきく」とか「思想的な言葉を吐く」ということになり、相当数が検挙され、私もその中の一人としてひどい拷問を受けました。今でも皆さんがお見かけのとおり、私の右の肩はちょっと左より下がっております。天井につるされて、五日間ぶっ通しで拷問を受けたからです。
私たちは会社に抗議を申し入れたのが、いつの間にか独立運動に変わってしまった。独立運動がそんなに簡単にできるものじゃない、おっかぶせたわけなんです。独立運動者になるとですね。当時の状況で植民地の者が独立運動を口にすることはすなわち死を意味することなんです。
実際に我々を毒殺しようとか、裁判なしに殺そうとしました。書類上だけでも当時検挙された首謀者とされた十五人のうち、二人はいまだに行方がわかりません。だが実際の行方不明は二十人をはるかに超えています。その後うわさに聞くところによれば、殺されて海に放り込まれたとか、誰もみかけた人はありません。風の便りに殺されたということは聞いております。
どうして私は生き延びられたかといいますと、同僚のおかげです。じゃあこのストライキを解散するからということで解放されたんです。
対企業裁判に立つ
そして五〇年の節目を迎えた一九九二年。戦後問題をなんとかして表に出して、きれいに謝罪を受けるなりけりをつけた方がいいじゃないのか。そういう趣旨で、私共は企業相手に、強制連行に対する企業の責任を問うて、東京地裁に日本で初の企業相手の訴訟を出しました。それがNKKいわゆる金と命の交換会社、日本鋼管のことなのです。
最初は平成の初めか昭和の終わるころなんで、よくもあれだけのことをしておいて安らかに死んでくれるなと思いました。そして日本の国会図書館に行きますとその資料を見つけたので、その晩を明かして訴状と言えるほどのものでもないし、訴状らしきものを書いて、東京地裁へ出しました。
そうしたらとてもきょとんとしたような顔をして、まあ一応訴状と名の付くものは、間違っていても間違いとして、受け付けなければならないということで受理されました。そして、それが伝わって、東京のある弁護士さんがこれはたいへんだ、この戦後問題はだれかが壁を打ち破らなければならないとは考えていたが、お前さんがやった以上はこの裁判は勝たなければならないということで、弁護士さんが九人ほど集まって、文字通り手弁当で助けていただくことになりました。
一審の方では「暴行は認める。だが損害賠償の方は時効と免責条項では今請求してもどうにもならない」というような判決が下りました。そして東京高裁で勝利和解をしました。
厳罰に値する不二越の戦争責任
その翌月になってこの不二越裁判も一緒に東京地裁へそれを提訴しましたが、不二越はまだ富山に健在であるということなので、訴訟の技術上これを富山に移しました。
訴訟を出す前に私は九二年六月二三日、富山へ一人で行きました。総務の中田という人に会って、李鐘淑さんが持っていた当時の社内貯金の証明書の実物を示して、未払賃金を払ってくれと言ったんです。しかし「なにしろ、昔のことでね、私の生まれる前のことでしてね」としらを切りました。
そのお金はどうしたのかと言ったら、「供託の方でしたか。なんだかわかりません」とあいまいな言葉をにおわせたので、とうとうごうを煮やしてその年の九月三〇日、提訴に踏み切りました。不二越は自分の月給をもらうために訴訟を起こしても、支払おうとしない。そういう会社のカラーなんですかね。
私は先日不二越のことを研究しました。彼らはいわゆる戦犯企業であると私は見なしております。
戦争を遂行するためには、兵器、その他あらゆる物資が必要であります。軍隊は素手では戦争ができない。その血に滲んだ手に、鉄砲を持たせたのが財閥であります。ですから日本の財閥は、決してアジア侵略の責任から免れることはできません。その一つが不二越であります!
かれらは、魚雷を造ったという記録もあります。あらゆる兵器を造りました。海軍省や陸軍省から「これだけのものを出せ」といわれ、人手が足りないといって、朝鮮から国民学校の生徒であった少女たちを、狩り出してきたのが不二越の強制連行の実態であります。
裁判で明るみに出ましたが、不二越の女子挺身隊の女の子たちを、夜な夜な軍人たちが連れ出して、一体何をしたのか!昼間は労働力を貪り、夜はその肉体を貪った!不二越は厳罰を免れない。それをよくもわれわれの追及に対して、知らぬ存ぜぬとは。かれらの鉄仮面の仕種に大きな怒りを感じるのであります。少女たちを「女子勤労挺身隊」と呼びつつ、夜は従軍慰安婦に対する以上のあくどいことをし、軍の機嫌をとり、莫大な金儲けをしたのが富山不二越であります。
この不二越が、五十年経って、当時を偲びながら訪れた、何人かの女性工員たちを門前払いしました。その門前払いの意図はもう判っています。もし彼女たちを近づければ旧悪がばれるからです。
不二越は、「NACHI」という名で商品のトレードマークを作っております。「NACHI」の由来は、大阪博覧会の時、天皇にこの品物はよくできているというお褒めの言葉をいただいたことが光栄だということで、当時の天皇のお召し艦――「那智」から名を取って「NACHI」なんですね。
今でもそれを使っておりますということは、軍国主義のその流れをくんで、「NACHI」という天皇の軍艦の名前で、社会へ商品を売り出しているということは、昔の栄華をもういっぺん夢見ようとする気持ちがその心底にあるのではないかと、私はそう思っております。ですから「NACHI」に対して、私は非常に大きな反感をもっています。
富山は不二越の城下町といっていいほど、不二越の采配が、幅がきく町なんです。その地において、心ある人々によって支えられて、今日こんにちまで私たちはこの訴訟をやってきました。
不二越は強制連行の責任を取れ
もともと、私は不二越へ何回も訴訟以前に話をしよう、話して決めよう。それを何回もしましたが、彼らは元従業員に対して、自宅待機を命じたその元従業員に対して、門前払いをしました。こういうことは日本の企業の歴史上、その例を見ないと思います。それほど過酷な、差別の激しい企業が、不二越だと思います。
彼女らはここにいますが、爆撃がどんどん激しくなると、朝鮮半島へ分工場を作るという理由でもって、夜中にたたき起こして木造船に乗せて、日本海を渡り海の向こうへおっぽり出しました。
もし人情というかけらでもあれば、彼らは帰す時に社内貯金、今まで貯めた預金なる月給を渡すべきなんです。それを社内貯金という理由で全部ふんだくりました。手帳にそれを書いて渡しました。家に帰って一ヶ月したらお前達は朝鮮の工場で働かせるからという理由でしたが、そのまま解放――終戦になりました。
その後彼らは、ただの一回も自宅待機の中止を命じたことはありません。私は不二越に言いました。彼らは今でも不二越の社員であると。自宅待機の解除はされていないんです。
崔福年さんは、当時十三才の子供でみかん箱に乗って旋盤作業をしました。それが不幸にも指を切られました。人差し指をですね。指を切られたその日から、彼女の人生は変わりました。
今も昔もそうだと思いますけれども、指を切られた少女の結婚相手というものがそう簡単に見つかるわけにはいきません。とうとう結婚相手が見つからなくて、二十才も年上の人に、こどもを残すための道具立てとして結婚しました。悲惨な生活はそこから始まりました。
もし当時不二越が、野戦病院式の治療をしないで、丁寧に治療をしたら指を切らずに済んだかもしれません。そういう人たちに対して不二越は門前払いをしました。果たしてこれが、日本人の人情であり良心であり得るでしょうか。
戦犯企業だからこそこういうことをやりうると、私はそう思っています。彼らも人の子であり、我々もこの地球上に生を有する者である。植民地の国の人間だからどんな扱いをしてもいいという、そういうことは絶対にできないと思います。
人は人であり、人の上に人なし、人の下に人なし。そういう例えもありますように、この不二越の悪辣さは、やがて正義の峻厳なる審判を受けるものと思います。
日本国民の良心ある皆様が、一人一人輪を作って、この問題に取りかかってくれれば、必ず勝利の日があるものと、私は確信してやみません。
再侵略への道を歩む日本
甘い汁を吸って、味をしめた経験のある者は、「夢をもう一度」とあらゆる角度から植民地化の夢を見ているのかもしれません。ですから、今世界のどこかで戦争が起きれば、戦争物資を入れることができるから、ボロ儲けすることができると、日本はひたすら、世界のどこかで戦争が起こることを願いつつあると私は、そう思っています。
日本の政府当局者なるものは非常に戦争好き、領土拡大主義なんです。独島は自分のものだと言っています。しかし大昔から我が国――大韓民国の領土として、日本の国会の地図にも、大韓民国の島、独島と書いてあるくらいなんです。その他にも、いろいろな資料があります。
今日本は、アジア各国を植民地化してあまりある軍備をしています。日本の軍事力は世界のどこに出しても遜色のない、最新鋭の戦艦と最先端の装備を備えた戦闘機が山と積まれています。これは、日本国民を外敵から守るためではありません。日本にはあらゆる装備とあらゆる訓練が揃いすぎている!
こうした不穏な日本の軍備の状況は、日本の皆さんはあまり気に留めていませんけれども、彼らに虐げられた民族と国家には、非常に大きな脅威となっております。
日本は戦後五〇年間ひたすら経済発展に専念してきました。エコノミック・アニマルと言われるほど、アジア各国から絞り上げました。絞りとったお金があると今度はまた他の欲が出てきます。
湾岸戦争で日本はお金を出したけれども人的貢献ができず、アメリカや各国からけなされました。円だけではだめだ、今度は軍事力が欲しい。そこで出てきたのが国連の常任理事国入りです。そうすれば世界のどこへでも、日本の軍隊を派兵できるようになる。そして弱い国があればそこを侵略することもできる。だから靖国神社への公式参拝やあらゆる暴言で、侵略戦争を正当化しているのです。
我が国は、許すことはできますけれども、決して忘れることをしない民族であります。決して忘れません!これを知らない日本の政治家は、「日本人と似ているから、こうして押さえつければ黙り込むだろう」と思っている。“無言の抵抗”ということを彼らは知らない。非常に不幸なことであります。
戦争責任に謝罪し補償せよ
被害者一世が生きているうちに、謝罪し、補償し、未払賃金を出せ!というんです。我々が死んでしまえば、彼らは誰に向かって謝罪し、未払賃金を支払いますでしょうか。そのときには、もう我々はこの世には存在しません。それを私は率直に催促してるのであります。そういう過ちのないように。
皆様今ご覧のとおり、彼女らは強制連行をお話しすると、胸が詰まるんですね。あまりの不二越の悪辣さに腹を立てて、百年闘争を宣言しました。もう五十五・六年たっています。百年先には私はこの世にはいないでしょうけれども、必ず、この不二越には目にものを見せる。その行いの過ちをただす。彼らは、その過ちのを治さない限り、彼らは永遠に歴史の前の前科者として、軍需産業、いわゆる戦犯企業として、名を連ねることは間違いありません!
不二越訴訟。名は簡単。二人の女性と一人の男性が未払い賃金の請求、そして、指を切られた償いとして、いささかの金額を請求する、その訴訟でありますが、その意義は重大であります。これは、本当の意味での、隣同士のつき合いになるのか、ならないのか。その基礎にもなるし、不二越が栄えるか滅びるか、その境目にあると私は思っています。このような不道徳の、企業倫理の悪い企業がいつまでも栄えるとは、私は思っていません!
日本の法律で、日本の国内で、日本人の手によって裁判が行われているということは、非常に私共に不利であることは重々わかっています。が、正義がある限り、皆さんのご支援がある限り、彼らは決してこの裁判をおろそかにはできないと思います。
日本に来ること、この裁判で海を越えてですね。鉛のような心を抱いて日本に来ること、私五九回目でございます。原告の皆さんも、十数回に及んでいます。なけなしのですね、ここへ一回来るのにどれだけの苦しみを味わうか。彼女らにとっては非常に大きな負担でもあります。生活の糧になる日雇いにも出られないというような悲惨な実状も目の前に迫っています。
こうした彼女ら元従業員に対して少しでも心あるならば、門前払いはできないと思います。
強制連行一二〇万。死亡者四〇万。二〇世紀の非常に大きな悲劇であります。しかし日本製府はいまだにうんともすんとも言っていません。強制連行、強制徴用者にたいして、同じ職場で同じ日に同じ戦死をしても、植民地出身の人たちにはビタ一文と出していません。これが日本の厚生省のやり方です。これでいいでしょうか。
まして従軍慰安婦問題では、乙女盛りの一八、九の娘たちをごまかしてトラックに乗せ、前線へ前線へと何万と送り込んで、列をなして強姦したのは皇軍という名のもとの日本の軍隊であります。その後裔たちが今、日本の政治をやっています。恐らく当人たち、もしくは今若手の政治家の父たちは、従軍慰安婦を抱いた経験が大いにあると思います。
それを政府の責任にしないで、国民基金という名のもとに、国民から寄付金を、はした金を募ってですね、お金で済むことならこれでいいでしょうと、銭の威力をきかせようとしているんです。それでは通らないと思います。彼女らの憤念と恨みと恨(ハン)。それは金銭の問題では解決しない。
ましてその昔、東京大震災の時、六七六二人、竹ヤリとこん棒で虐殺しました。それは日本の官憲の手ではなくて、日本の市民の手によってそれが行われました。
「朝鮮人が井戸に毒を入れるから、朝鮮人を殺せ」と。官憲の保護のもとに監禁しておいて、裏口から市民たちに五人、十人と束にして渡したんです。それを土手の上に連れて行って、突き刺して殺した。
その昔、豊臣秀吉はいわゆる朝鮮出兵ということをして、朝鮮の兵士の鼻を削いで祀って威張っているんです。今、京都の一番大きな堂の中に、鼻塚、耳塚というのが現在もあるんです。それが日本の歴史です。
私共はいまだに一回も外国を侵犯したことのない国の国民です。夢にでもですね外国を侵犯した事実のない平和の国。白衣民族。その白い着物を重んじる白衣民族をなぜ日本はこれほどまでに、七百年間、何十回も、何百回も侵犯するのか。
よくよく日本の政情が危うくなると、人気が落ちると我が国相手にいちゃもんをつける。本当の意味での両国民のつき合い、腹を割ってのつき合いはこれからだと思います。
日本全国で戦争責任追及の闘いを
私どもは対不二越百年訴訟を宣言しました。私どもはこの訴訟をやり抜きます。そして世界に訴えます。
戦前の補償を戦後になって求める。われわれにとっては、大きな冒険でもあります。海を渡って、山を越えて飛行機に乗ってここまで飛んできています。いくらかもっていた財産も全額を使い果たしました。原告たちはこの裁判に出席するために、相当の金額を三ヶ月も四ヶ月もかかって、手に血を滲ませつつ貯めています。これは、「戦後の被害」でもあります。「戦前の被害」と「戦後の被害」これを知らない日本の政府、日本の企業。何を言われても厳と聞き入れないこういう集団がある限り、われわれは永遠に友達にはなれないと思っています。
その中で、こういう支援の集まりが日本の津々浦々に広がっていくということが、私の最も念願していることであり、また本望でもあります。私の本心を言えば、日本の各裁判所に訴訟を持ち込んで、日本政府のお金をうんと食い潰したい。日本全国に強制連行の跡はいくらでもありますから。
今からでも遅くない。日本政府、心せよ!さもなくば亡びよ!
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私も日本鋼管に労働者として強制徴用され、五〇トンのクレーンを運転していました。当時一九四二・三年は、日本の戦局が最も苛烈な時期でありまして、日米戦争が始まって間もなく、日本の若い青年達は前線へ、前線へと、赤い紙切れ一枚で動員され、昼夜の区別なくたくさんの人が命を落としていた時代であります。
ですから労働現場の方もそのあおりをくって、ほとんどの若い日本人の青年達は現場にはいませんでした。年寄の日本人と、高等学校の若い養成工の日本人の手で動かしていて、そこに我々が加わって、重工業の中で最もきつい仕事である製鉄の仕事をやっていました。
が、彼らは我々の労働力をむさぼるだけでなく、人格をむさぼり、人権を踏みにじりました。会社は朝鮮人青少年達に対して非常にあくどい、悪意のこもったパンフレットを出しました。それには半島人条項として、いわゆる朝鮮出身、植民地出身の青年達はあまり仕事ができない。技術の修得がおそい。日本人の青年が二人でやることを五人で掛かってもできない。水をがぶがぶ飲む。水を飲むからおなかをこわす。出勤率が悪いとありました。
ところがたまたまそれが私の目にとまり、それを回し読みして、こういう扱いを受けるならば、もう現場を放棄して仕事をしないほうが楽なんだ、家へ帰してくれ、我が国へ帰してくれと大食堂に集まり、二〇〇〇〇人もが一斉に、一人も抜けることなく整然と集まって、会社に申し入れをしました。
製鉄は高炉も止まり、転炉も止まり、直結モーターも止まりました。ふつう三万五千トン級の軍艦の主砲を造っている所がありました。いわゆる大砲のくり抜きをやっておりました。それがとまってしまったので、その後軍艦は、それを積む予定だった軍艦はそれを積まずに出港して、マレーシア沖合で撃沈されたという「幸運」があったそうであります。
ところが、これだけやっかいなものだったら国へ返してくれ、「我が国へ帰してくれ」という「我が国」がたたって、「植民地の人間が大きな口をきく」とか「思想的な言葉を吐く」ということになり、相当数が検挙され、私もその中の一人としてひどい拷問を受けました。今でも皆さんがお見かけのとおり、私の右の肩はちょっと左より下がっております。天井につるされて、五日間ぶっ通しで拷問を受けたからです。
私たちは会社に抗議を申し入れたのが、いつの間にか独立運動に変わってしまった。独立運動がそんなに簡単にできるものじゃない、おっかぶせたわけなんです。独立運動者になるとですね。当時の状況で植民地の者が独立運動を口にすることはすなわち死を意味することなんです。
実際に我々を毒殺しようとか、裁判なしに殺そうとしました。書類上だけでも当時検挙された首謀者とされた十五人のうち、二人はいまだに行方がわかりません。だが実際の行方不明は二十人をはるかに超えています。その後うわさに聞くところによれば、殺されて海に放り込まれたとか、誰もみかけた人はありません。風の便りに殺されたということは聞いております。
どうして私は生き延びられたかといいますと、同僚のおかげです。じゃあこのストライキを解散するからということで解放されたんです。
対企業裁判に立つ
そして五〇年の節目を迎えた一九九二年。戦後問題をなんとかして表に出して、きれいに謝罪を受けるなりけりをつけた方がいいじゃないのか。そういう趣旨で、私共は企業相手に、強制連行に対する企業の責任を問うて、東京地裁に日本で初の企業相手の訴訟を出しました。それがNKKいわゆる金と命の交換会社、日本鋼管のことなのです。
最初は平成の初めか昭和の終わるころなんで、よくもあれだけのことをしておいて安らかに死んでくれるなと思いました。そして日本の国会図書館に行きますとその資料を見つけたので、その晩を明かして訴状と言えるほどのものでもないし、訴状らしきものを書いて、東京地裁へ出しました。
そうしたらとてもきょとんとしたような顔をして、まあ一応訴状と名の付くものは、間違っていても間違いとして、受け付けなければならないということで受理されました。そして、それが伝わって、東京のある弁護士さんがこれはたいへんだ、この戦後問題はだれかが壁を打ち破らなければならないとは考えていたが、お前さんがやった以上はこの裁判は勝たなければならないということで、弁護士さんが九人ほど集まって、文字通り手弁当で助けていただくことになりました。
一審の方では「暴行は認める。だが損害賠償の方は時効と免責条項では今請求してもどうにもならない」というような判決が下りました。そして東京高裁で勝利和解をしました。
厳罰に値する不二越の戦争責任
その翌月になってこの不二越裁判も一緒に東京地裁へそれを提訴しましたが、不二越はまだ富山に健在であるということなので、訴訟の技術上これを富山に移しました。
訴訟を出す前に私は九二年六月二三日、富山へ一人で行きました。総務の中田という人に会って、李鐘淑さんが持っていた当時の社内貯金の証明書の実物を示して、未払賃金を払ってくれと言ったんです。しかし「なにしろ、昔のことでね、私の生まれる前のことでしてね」としらを切りました。
そのお金はどうしたのかと言ったら、「供託の方でしたか。なんだかわかりません」とあいまいな言葉をにおわせたので、とうとうごうを煮やしてその年の九月三〇日、提訴に踏み切りました。不二越は自分の月給をもらうために訴訟を起こしても、支払おうとしない。そういう会社のカラーなんですかね。
私は先日不二越のことを研究しました。彼らはいわゆる戦犯企業であると私は見なしております。
戦争を遂行するためには、兵器、その他あらゆる物資が必要であります。軍隊は素手では戦争ができない。その血に滲んだ手に、鉄砲を持たせたのが財閥であります。ですから日本の財閥は、決してアジア侵略の責任から免れることはできません。その一つが不二越であります!
かれらは、魚雷を造ったという記録もあります。あらゆる兵器を造りました。海軍省や陸軍省から「これだけのものを出せ」といわれ、人手が足りないといって、朝鮮から国民学校の生徒であった少女たちを、狩り出してきたのが不二越の強制連行の実態であります。
裁判で明るみに出ましたが、不二越の女子挺身隊の女の子たちを、夜な夜な軍人たちが連れ出して、一体何をしたのか!昼間は労働力を貪り、夜はその肉体を貪った!不二越は厳罰を免れない。それをよくもわれわれの追及に対して、知らぬ存ぜぬとは。かれらの鉄仮面の仕種に大きな怒りを感じるのであります。少女たちを「女子勤労挺身隊」と呼びつつ、夜は従軍慰安婦に対する以上のあくどいことをし、軍の機嫌をとり、莫大な金儲けをしたのが富山不二越であります。
この不二越が、五十年経って、当時を偲びながら訪れた、何人かの女性工員たちを門前払いしました。その門前払いの意図はもう判っています。もし彼女たちを近づければ旧悪がばれるからです。
不二越は、「NACHI」という名で商品のトレードマークを作っております。「NACHI」の由来は、大阪博覧会の時、天皇にこの品物はよくできているというお褒めの言葉をいただいたことが光栄だということで、当時の天皇のお召し艦――「那智」から名を取って「NACHI」なんですね。
今でもそれを使っておりますということは、軍国主義のその流れをくんで、「NACHI」という天皇の軍艦の名前で、社会へ商品を売り出しているということは、昔の栄華をもういっぺん夢見ようとする気持ちがその心底にあるのではないかと、私はそう思っております。ですから「NACHI」に対して、私は非常に大きな反感をもっています。
富山は不二越の城下町といっていいほど、不二越の采配が、幅がきく町なんです。その地において、心ある人々によって支えられて、今日こんにちまで私たちはこの訴訟をやってきました。
不二越は強制連行の責任を取れ
もともと、私は不二越へ何回も訴訟以前に話をしよう、話して決めよう。それを何回もしましたが、彼らは元従業員に対して、自宅待機を命じたその元従業員に対して、門前払いをしました。こういうことは日本の企業の歴史上、その例を見ないと思います。それほど過酷な、差別の激しい企業が、不二越だと思います。
彼女らはここにいますが、爆撃がどんどん激しくなると、朝鮮半島へ分工場を作るという理由でもって、夜中にたたき起こして木造船に乗せて、日本海を渡り海の向こうへおっぽり出しました。
もし人情というかけらでもあれば、彼らは帰す時に社内貯金、今まで貯めた預金なる月給を渡すべきなんです。それを社内貯金という理由で全部ふんだくりました。手帳にそれを書いて渡しました。家に帰って一ヶ月したらお前達は朝鮮の工場で働かせるからという理由でしたが、そのまま解放――終戦になりました。
その後彼らは、ただの一回も自宅待機の中止を命じたことはありません。私は不二越に言いました。彼らは今でも不二越の社員であると。自宅待機の解除はされていないんです。
崔福年さんは、当時十三才の子供でみかん箱に乗って旋盤作業をしました。それが不幸にも指を切られました。人差し指をですね。指を切られたその日から、彼女の人生は変わりました。
今も昔もそうだと思いますけれども、指を切られた少女の結婚相手というものがそう簡単に見つかるわけにはいきません。とうとう結婚相手が見つからなくて、二十才も年上の人に、こどもを残すための道具立てとして結婚しました。悲惨な生活はそこから始まりました。
もし当時不二越が、野戦病院式の治療をしないで、丁寧に治療をしたら指を切らずに済んだかもしれません。そういう人たちに対して不二越は門前払いをしました。果たしてこれが、日本人の人情であり良心であり得るでしょうか。
戦犯企業だからこそこういうことをやりうると、私はそう思っています。彼らも人の子であり、我々もこの地球上に生を有する者である。植民地の国の人間だからどんな扱いをしてもいいという、そういうことは絶対にできないと思います。
人は人であり、人の上に人なし、人の下に人なし。そういう例えもありますように、この不二越の悪辣さは、やがて正義の峻厳なる審判を受けるものと思います。
日本国民の良心ある皆様が、一人一人輪を作って、この問題に取りかかってくれれば、必ず勝利の日があるものと、私は確信してやみません。
再侵略への道を歩む日本
甘い汁を吸って、味をしめた経験のある者は、「夢をもう一度」とあらゆる角度から植民地化の夢を見ているのかもしれません。ですから、今世界のどこかで戦争が起きれば、戦争物資を入れることができるから、ボロ儲けすることができると、日本はひたすら、世界のどこかで戦争が起こることを願いつつあると私は、そう思っています。
日本の政府当局者なるものは非常に戦争好き、領土拡大主義なんです。独島は自分のものだと言っています。しかし大昔から我が国――大韓民国の領土として、日本の国会の地図にも、大韓民国の島、独島と書いてあるくらいなんです。その他にも、いろいろな資料があります。
今日本は、アジア各国を植民地化してあまりある軍備をしています。日本の軍事力は世界のどこに出しても遜色のない、最新鋭の戦艦と最先端の装備を備えた戦闘機が山と積まれています。これは、日本国民を外敵から守るためではありません。日本にはあらゆる装備とあらゆる訓練が揃いすぎている!
こうした不穏な日本の軍備の状況は、日本の皆さんはあまり気に留めていませんけれども、彼らに虐げられた民族と国家には、非常に大きな脅威となっております。
日本は戦後五〇年間ひたすら経済発展に専念してきました。エコノミック・アニマルと言われるほど、アジア各国から絞り上げました。絞りとったお金があると今度はまた他の欲が出てきます。
湾岸戦争で日本はお金を出したけれども人的貢献ができず、アメリカや各国からけなされました。円だけではだめだ、今度は軍事力が欲しい。そこで出てきたのが国連の常任理事国入りです。そうすれば世界のどこへでも、日本の軍隊を派兵できるようになる。そして弱い国があればそこを侵略することもできる。だから靖国神社への公式参拝やあらゆる暴言で、侵略戦争を正当化しているのです。
我が国は、許すことはできますけれども、決して忘れることをしない民族であります。決して忘れません!これを知らない日本の政治家は、「日本人と似ているから、こうして押さえつければ黙り込むだろう」と思っている。“無言の抵抗”ということを彼らは知らない。非常に不幸なことであります。
戦争責任に謝罪し補償せよ
被害者一世が生きているうちに、謝罪し、補償し、未払賃金を出せ!というんです。我々が死んでしまえば、彼らは誰に向かって謝罪し、未払賃金を支払いますでしょうか。そのときには、もう我々はこの世には存在しません。それを私は率直に催促してるのであります。そういう過ちのないように。
皆様今ご覧のとおり、彼女らは強制連行をお話しすると、胸が詰まるんですね。あまりの不二越の悪辣さに腹を立てて、百年闘争を宣言しました。もう五十五・六年たっています。百年先には私はこの世にはいないでしょうけれども、必ず、この不二越には目にものを見せる。その行いの過ちをただす。彼らは、その過ちのを治さない限り、彼らは永遠に歴史の前の前科者として、軍需産業、いわゆる戦犯企業として、名を連ねることは間違いありません!
不二越訴訟。名は簡単。二人の女性と一人の男性が未払い賃金の請求、そして、指を切られた償いとして、いささかの金額を請求する、その訴訟でありますが、その意義は重大であります。これは、本当の意味での、隣同士のつき合いになるのか、ならないのか。その基礎にもなるし、不二越が栄えるか滅びるか、その境目にあると私は思っています。このような不道徳の、企業倫理の悪い企業がいつまでも栄えるとは、私は思っていません!
日本の法律で、日本の国内で、日本人の手によって裁判が行われているということは、非常に私共に不利であることは重々わかっています。が、正義がある限り、皆さんのご支援がある限り、彼らは決してこの裁判をおろそかにはできないと思います。
日本に来ること、この裁判で海を越えてですね。鉛のような心を抱いて日本に来ること、私五九回目でございます。原告の皆さんも、十数回に及んでいます。なけなしのですね、ここへ一回来るのにどれだけの苦しみを味わうか。彼女らにとっては非常に大きな負担でもあります。生活の糧になる日雇いにも出られないというような悲惨な実状も目の前に迫っています。
こうした彼女ら元従業員に対して少しでも心あるならば、門前払いはできないと思います。
強制連行一二〇万。死亡者四〇万。二〇世紀の非常に大きな悲劇であります。しかし日本製府はいまだにうんともすんとも言っていません。強制連行、強制徴用者にたいして、同じ職場で同じ日に同じ戦死をしても、植民地出身の人たちにはビタ一文と出していません。これが日本の厚生省のやり方です。これでいいでしょうか。
まして従軍慰安婦問題では、乙女盛りの一八、九の娘たちをごまかしてトラックに乗せ、前線へ前線へと何万と送り込んで、列をなして強姦したのは皇軍という名のもとの日本の軍隊であります。その後裔たちが今、日本の政治をやっています。恐らく当人たち、もしくは今若手の政治家の父たちは、従軍慰安婦を抱いた経験が大いにあると思います。
それを政府の責任にしないで、国民基金という名のもとに、国民から寄付金を、はした金を募ってですね、お金で済むことならこれでいいでしょうと、銭の威力をきかせようとしているんです。それでは通らないと思います。彼女らの憤念と恨みと恨(ハン)。それは金銭の問題では解決しない。
ましてその昔、東京大震災の時、六七六二人、竹ヤリとこん棒で虐殺しました。それは日本の官憲の手ではなくて、日本の市民の手によってそれが行われました。
「朝鮮人が井戸に毒を入れるから、朝鮮人を殺せ」と。官憲の保護のもとに監禁しておいて、裏口から市民たちに五人、十人と束にして渡したんです。それを土手の上に連れて行って、突き刺して殺した。
その昔、豊臣秀吉はいわゆる朝鮮出兵ということをして、朝鮮の兵士の鼻を削いで祀って威張っているんです。今、京都の一番大きな堂の中に、鼻塚、耳塚というのが現在もあるんです。それが日本の歴史です。
私共はいまだに一回も外国を侵犯したことのない国の国民です。夢にでもですね外国を侵犯した事実のない平和の国。白衣民族。その白い着物を重んじる白衣民族をなぜ日本はこれほどまでに、七百年間、何十回も、何百回も侵犯するのか。
よくよく日本の政情が危うくなると、人気が落ちると我が国相手にいちゃもんをつける。本当の意味での両国民のつき合い、腹を割ってのつき合いはこれからだと思います。
日本全国で戦争責任追及の闘いを
私どもは対不二越百年訴訟を宣言しました。私どもはこの訴訟をやり抜きます。そして世界に訴えます。
戦前の補償を戦後になって求める。われわれにとっては、大きな冒険でもあります。海を渡って、山を越えて飛行機に乗ってここまで飛んできています。いくらかもっていた財産も全額を使い果たしました。原告たちはこの裁判に出席するために、相当の金額を三ヶ月も四ヶ月もかかって、手に血を滲ませつつ貯めています。これは、「戦後の被害」でもあります。「戦前の被害」と「戦後の被害」これを知らない日本の政府、日本の企業。何を言われても厳と聞き入れないこういう集団がある限り、われわれは永遠に友達にはなれないと思っています。
その中で、こういう支援の集まりが日本の津々浦々に広がっていくということが、私の最も念願していることであり、また本望でもあります。私の本心を言えば、日本の各裁判所に訴訟を持ち込んで、日本政府のお金をうんと食い潰したい。日本全国に強制連行の跡はいくらでもありますから。
今からでも遅くない。日本政府、心せよ!さもなくば亡びよ!
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by fujikoshisosho
| 2008-07-12 14:11
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